2012年03月04日

青の洞門


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菊池寛の小説、恩讐の彼方に、で有名な、青の洞門です。
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青の洞門は、耶馬渓の山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾にある洞門です。

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洞門の前には、大分北部バスのバス停があります。

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越後の国の人、僧禅海は、修行のため、諸国を遍歴して、たまたまこの地にやってきました。このあたりは、鎖渡といって、岩角に板を並べ、水ぎわには鎖を渡して通行したために、人馬が山国川の激流に飲まれることが多かったのです。僧禅海は、この難局をすくうべく、一人鑿と槌を持ち、岩盤をえぐろうと努力されました。当初は誰もが鼻で笑ったことであったが、1年たち、2年たち、洞は深さを増していきました。ここにきて、和尚の念の深さに心を打たれた人たちが、徐々に和尚を手助けするようになり、30年もの月日をかけて、ついに、洞門はついに完成したのです。

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禅海和尚の手掘り跡、青の洞門の明かり窓を見ることが出来ます。

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トンネルを貫く車道とは別のトンネルでこちらが僧禅海が掘った部分であると言われています。明かり窓が有り、山国川が確認できます。

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この窓が、最初に開けた明かり窓です。

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穏やかな山国川の流れ。しかし、一旦嵐になれば、多くの人命を飲み込んできたのでしょう。

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僧禅海のすさまじいまでの執念がうかがえます。実際は、僧禅海は、托鉢などをして資金を集め、石工をやとって、ともに工事に携わったと言われています。なお、この旧道が、本来の青の洞門で、現在の車道は、明治時代に改修されて出来たものになります。

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菊池寛の小説”恩讐の彼方に”では、女性関係から、主君を斬り殺してしまい、逃走の末、一時人斬りをするなどして悪行を重ねていた”市九郎”が主人公です。彼は徐々に自分の犯した罪深さに悩み苦しむようになり、ついに己の悪行を悔い改め、出家して了海と名乗り、諸国放浪の末、この地に到達します。多くの人が川に転落し濁流にのまれるのをみて、自らの罪滅ぼしと、人助けのために洞門を掘り抜くことを決意します。月日は流れ、ついに父の仇を探していた、主君の息子”実之助”は、了海(=市九郎)をこの地で発見します。いざ、仇を討とうとしますが、洞門の完成まで待ってくれ、という了海の頼みを、迷った末に聞き入れます。早く仇を討とうと、洞門の掘削に力を貸し始めた実之助ですが、了海が、過去の罪を心から悔い、その罪滅ぼしに、多くの人の命を救いたい、と信じがたい程の強い執念をもってこの作業にとり組んでいることを知り、徐々に心を動かされていきます。了海が、鑿を振るい始めて30年後、ついに青の洞門が完成したとき、さあ今こそ仇を討て、という了海にたいして、実之助は、ただただ号泣するばかりだったのです。

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お地蔵様が祭ってあり、絵馬が多くかけられていました。

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車道に合流しました。これは、明治以降に掘られたものです。僧禅海が掘った鑿跡など、多くは失われています。

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江戸時代から、近くにある羅漢寺を詣でるルートだったそうですが、確かにトンネルがないと、大変難所だったことでしょう。

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今来た道を戻りましょう。右が車道、左が、僧禅海が掘った旧道です。

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トンネル入り口には、禅海和尚の碑が建っています。なお、トンネルの中は、車が通れますが、信号による片側1車線通行です。

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本耶馬渓町はまだまだ見所いっぱいです。

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ラベル:中津市
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posted by EASCORP at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩、洞窟 rock,cave | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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