
とてもレトロな雰囲気の案内板。山頂に岩石城があり、麓に添田公園があります。

添田公園の入り口付近に、突如おいてあるレトロな戦闘機。。これはいったい?

T33Aジェット練習機、昭和33年6月製造、だそうです。おいてある理由はわからずじまい。。

平常、と書いてある、岩石城に至る登山口。見る人を圧倒する、とても立派な門ですね。

門をくぐってしばらく行くと、何か見えてきました。一見、お城に見えますが、これは添田ジョイ、という保養施設です。町並みを眺めながら入浴できる展望浴室、入浴後くつろぐことのできる仮眠室、楽しい遊具がいっぱいの子ども室など子どもから大人まで一日中楽しく過ごせる施設で、館内はエレベーターや身障者用トイレ・浴室が完備されているので、お年寄りやハンディキャップのある方も安心してご利用できるそうです。尚、この裏手から、山頂の岩石城に至るまでのリフトがあります。

更にしばらく歩きますと、岩石城武将の碑、がありました。熊井越中守久重、と芥田悪六兵衛、と書いてあります。どのような武将だったのでしょうか?

詳しい説明文がありました。1587年、豊臣秀吉は、秋月、島津連合軍の重要な砦である岩石城を、15万の兵で攻めました。熊井越中守久重は、秋月種実の最も有力な家臣で、岩石城を長らく守ってきましたが、3千の兵と共に秀吉軍に抗戦し、討ち死にしました。芥田悪六兵衛は、1582年、大友、秋月合戦の際、単身敵陣に乗り込み、敵将の首をかききり、主君秋月種実の命を救った、という武勇伝があります。熊井越中守久重と共に、秀吉軍に抗戦し、討ち死にしました。そのお二方の碑が、ここに祭られています。

岩石城の門が見えてきました。

草創門、と読めますね。

岩石城天守閣です。

1階は、添田町美術館になっています。入場は無料。

右の建物の1階は、トレーニングジムのようになっていました。添田町の文化施設兼、保養所的位置づけがなされているようです。

比較的こじんまりしたお城ですが、立地としては攻めにくい場所であったと思います。

添田町中心部が見渡せます。

岩石城の歴史は古く、もともとは、1157年、平清盛が臣下に命じて作らせた城です。1573年より、秋月種実の臣下、熊井越中守久重と芥田悪六兵衛が守護していましたが、先に述べた豊臣秀吉の攻撃にて1587年、落城しました。
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