2013年08月31日

大己貴(おおなむち)神社

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大己貴神社は、おおなむちじんじゃ、と読みます。福岡県朝倉郡筑前町にある神社で、旧秋月街道沿いにあり、日本最古の神社のひとつと言われています。祭神は、大己貴命で、これは、大国主命(おおくにぬしのみこと)の事であるそうです。

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神社の入り口です。

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少し境内に入ったところです。

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地元ではオンガサマと呼ばれ、親しまれています。祭神の大己貴命は、大神大明神とも言われ、おおがみがなまって、オンガサマ、となったようです。このお宮は神功皇后の伝承地で、皇后が新羅との戦の時、兵が集まりにくかったので、兵が集まるように社を建てて祈願した、とのことです。この時の社が、この神社であるとされ、我が国でもっとも古い神社とされています。社殿、拝殿は、町の重要文化財に指定され、江戸時代末期から明治初頭の建造物で、原型は八幡造でしょう。

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狛犬に守られた、社殿です。風格のある神社です。

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大己貴神社の社殿です。

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社殿横にいらっしゃった神様です。。もしかして、大国主命様、でしょうか?

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大己貴神社の目の前にある、歴史の里公園です。とてものどかな公園です。

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歴史の里公園です。時計が目立ちますね。

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公園の前に、神功皇后と羽白熊鷲の伝説についての記載がありました。昔、羽白熊鷲という在地の豪族が、本拠を朝倉市秋月の荷持(のとり)に構え、筑前町一帯を支配していました。熊鷲は、白い鳥の羽根をつけて、鷺舞(さぎまい)を演じ、まつりごと、を行う鳥装の司祭者です。ある年、ヤマトの国から神功皇后が九州にやってきて、香椎(福岡市東区香椎)に宮を定めました。そして、皇后は朝鮮半島の新羅と戦うため、各地の豪族に命令を出し、多くの兵士を集めさせました。しかし、熊鷲は、この命令に従いませんでした。皇后はたいそう怒り、新羅出兵の前に熊鷲を征伐することにし、軍隊を香椎宮から朝倉地方へ進軍させました。皇后軍は、筑前町の砥上方面から熊鷲の領地に侵攻し、森山峠を越えて、栗田に到着した、と想定されます。しかし、皇后は栗田で行軍を一旦停止させ、松峡(まつお)(筑前町栗田町松尾)に宮を定めました。決戦は、層増岐野(そそぎの)(新町、高上付近)で行われました。そして、皇后は、熊鷲を征服し、我が心安し、と語りました。この、安、が当地方の郡名起源とされ、後に夜須、の二文字に改められました。
熊鷲平定後、新羅出兵の兵士はなかなか集まらず、皇后は、大己貴神社に社を建て、矛をささげました。これは、勝者が打ち込んだ楔、あるいは熊鷲への鎮魂だったのでしょうか?いずれにしても、熊鷲という在地豪族
が、ヤマト政権に組み込まれていく過程を物語るのでしょう。


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2013年01月03日

岩屋神社


より大きな地図で 岩屋神社 を表示

福岡県東峰村にある、岩屋神社です。

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岩屋神社は、JR日田彦山線筑前岩屋駅から、更に山手に登ったところにある神社です。

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岩屋の奇岩群ーこのあたりは火山活動と、風化浸食によって出来た安山岩質集塊岩の林立した奇岩石群が見られます。

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こんな感じの風景です。

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国指定重要文化財、岩屋熊野神社修復祈念碑がありました。

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さて、神社の境内の方角へ進んでいきましょう。

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岩屋神社についての案内板がありました。

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更に進むと、大きな木がありました。

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岩屋神社の大公孫樹、と書いてあります。これは、おおいちょう、と読みます。

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福岡県の天然記念物に指定されている、おおいちょうの木、なのでした。岩屋神社のご神木の1つです。この大公孫樹は、戦国時代末の文豊後の大友宗麟による二度の宝珠山焼き討ちにも耐え、岩屋神社の盛衰と人々の祈りを見つめてきました。

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更に本殿に向けて、歩を進めてみましょう。

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突然視界が開けます。たくさんのお地蔵さまがおられますが、何かが変です。そう、お地蔵さまには、首がないのです。

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岩屋の首無し地蔵、と言われます。明治維新後、国は日本再生の精神的支柱として、日本古来の神道を選び、神仏分離令、修験道禁止令を出します。仏教色を一掃する廃仏毀釈例は、ここ岩屋でも吹き荒れ、仏像群などが破壊され、谷底に投げ捨てられたりしました。その後五百羅漢、五輪塔、などが村民らからわずかに川底から引き上げられ、安置されました。しかし、拾い出された153体の石像のほとんどには首がなかったのです。

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巨大な岩が行く手を遮りますが、大きな穴が掘られています。ここを潜って、先に進みます。

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国指定重要文化財、岩屋神社本殿の碑。いよいよ岩屋神社本殿が見えてきます。

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岩屋大権現の鳥居を潜ると。。。

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大きな岩と、大岩、権現岩の窪みの中に鎮座する本殿が見えてきました。

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岩屋神社本殿です。

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もう少し離れてみた岩屋神社本殿です。この中に、ご神体である宝珠石が、薦にくるまれて安置されています。

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本殿に覆い被さるようにある権現岩のてっぺんはこんな感じです。このあたりは、岩屋の奇岩群と言われ、このような岩が林立しています。

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1698年、福岡藩4代藩主黒田綱政の建立です。外殿は、大岩の権現岩の窪みを利用して作られ、内殿の前には、薦に包まれたご神体の宝珠石が祭られているという、珍しい形式です。彦山修験道に関係する、17世紀にさかのぼる数少ない貴重な建造物として、昭和63年に国指定重要文化財に指定されました。

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タグ:東峰村
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