2013年08月18日

秋月城跡


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福岡県朝倉市の秋月城跡です。

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江戸幕府体制成立以前より育っていたイヌマキの木です。

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この木です。秋月城下町に至る道しるべとなっていたそうです。

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甘木観光バスー秋月バス停です。昭和の雰囲気漂うバス停ですね。

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菖蒲の花が咲いていました。

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藤棚の藤の花も綺麗でした

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清流が涼しげです。

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秋月美術館です。

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秋月のメインストリート。春は桜の花で、大賑わいとなります。

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藩士、戸羽平九郎屋敷。茅葺きの屋根が、往時を偲ばせます。

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秋月美術館横の藤棚。秋月美術館は、土居コレクションが展示されており、東山魁夷、横山大観、など名だたる画家の作品も展示されています。

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武士の町秋月です。当然、武芸が奨励されていました。

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稽古館跡が、美術館になっていました。

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また、秋月のメインストリートです。江戸時代とあんまり変わっていないのでしょう。

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カラフルな傘が売ってありました。

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左が秋月城跡、そしてお堀です。

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秋月城の正門に至った、瓦坂です。

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秋月の由来が書いてあります。 秋月という地名は、940年代、この地が筥崎八幡宮の荘園となった時に、秋月荘と名付けられたからの様である。山に囲繞されたこの盆地は、外敵の侵入を防ぐには便利な土地である。従って、昔から覇権を狙う者は根拠地とした。遠くは神功皇后が古処山に拠った羽白熊鷲を討たれた(羽白熊鷲については、大己貴神社をご参照下さい)。下っては、鎌倉幕府の二代将軍源頼家が、原田種雄に1203年秋月荘を贈ったので、種雄は秋月氏と称し、古処山城を中核に覇を張り、16代385年間、天正15年の豊臣秀吉の九州征伐まで盛衰の歴史を繰り返した。ここの地名は別に梅園という。黒田長政の死後、その三男長興が五万石貰って分封され、秋月藩主となった。時元和九年の事である。以来廃藩置県まで12代246年間、黒田氏はここの館に住んでいたのである。。

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秋月城長屋門です。

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こちらが、長屋門です。

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門を抜けると、秋月中学校がありました。

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こちらが、黒門です。

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秋月橋です。

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タグ:朝倉市
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2012年03月07日

岩石城 (がんじゃくじょう)

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とてもレトロな雰囲気の案内板。山頂に岩石城があり、麓に添田公園があります。

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添田公園の入り口付近に、突如おいてあるレトロな戦闘機。。これはいったい?

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T33Aジェット練習機、昭和33年6月製造、だそうです。おいてある理由はわからずじまい。。

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平常、と書いてある、岩石城に至る登山口。見る人を圧倒する、とても立派な門ですね。

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門をくぐってしばらく行くと、何か見えてきました。一見、お城に見えますが、これは添田ジョイ、という保養施設です。町並みを眺めながら入浴できる展望浴室、入浴後くつろぐことのできる仮眠室、楽しい遊具がいっぱいの子ども室など子どもから大人まで一日中楽しく過ごせる施設で、館内はエレベーターや身障者用トイレ・浴室が完備されているので、お年寄りやハンディキャップのある方も安心してご利用できるそうです。尚、この裏手から、山頂の岩石城に至るまでのリフトがあります。

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更にしばらく歩きますと、岩石城武将の碑、がありました。熊井越中守久重、と芥田悪六兵衛、と書いてあります。どのような武将だったのでしょうか?

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詳しい説明文がありました。1587年、豊臣秀吉は、秋月、島津連合軍の重要な砦である岩石城を、15万の兵で攻めました。熊井越中守久重は、秋月種実の最も有力な家臣で、岩石城を長らく守ってきましたが、3千の兵と共に秀吉軍に抗戦し、討ち死にしました。芥田悪六兵衛は、1582年、大友、秋月合戦の際、単身敵陣に乗り込み、敵将の首をかききり、主君秋月種実の命を救った、という武勇伝があります。熊井越中守久重と共に、秀吉軍に抗戦し、討ち死にしました。そのお二方の碑が、ここに祭られています。

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岩石城の門が見えてきました。

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草創門、と読めますね。

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岩石城天守閣です。

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1階は、添田町美術館になっています。入場は無料。

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右の建物の1階は、トレーニングジムのようになっていました。添田町の文化施設兼、保養所的位置づけがなされているようです。

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比較的こじんまりしたお城ですが、立地としては攻めにくい場所であったと思います。

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添田町中心部が見渡せます。

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岩石城の歴史は古く、もともとは、1157年、平清盛が臣下に命じて作らせた城です。1573年より、秋月種実の臣下、熊井越中守久重と芥田悪六兵衛が守護していましたが、先に述べた豊臣秀吉の攻撃にて1587年、落城しました。

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タグ:添田町
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