

★旧伊藤伝右衛門邸は、福岡県飯塚市幸袋にある、広大な旧家です。
★伊藤伝右衛門といえば、筑豊炭田華やかなりし頃の炭坑王として知られています。が、もう一つ、やはり、柳原白蓮、との関係が有名でしょう。
★伊藤伝右衛門は、1861年、貧しい家に生まれます。父親が炭鉱経営を軌道に乗せ、それを引き継ぎます。良質な炭坑を掘り当てたことで、一気にブレイク、巨万の富を得ます。
★妻に先立たれた彼は、52歳にして再婚します。新婦は伯爵家令嬢、柳原暁子、27歳。暁子の兄の貴族院出馬の資金要請、伝右衛門の名門家との結びつきを望む心、利害が一致したといわれていますが、伝右衛門は学校経営も行っており、世のために働きたい、という暁子の気持ちもあったようです。
★結婚して、二人が一緒に暮らし始めたのが、ここ、旧伊藤伝右衛門邸です。とにかく広い!そして、和洋折衷の、贅を尽くした造りが、訪れた人を魅了します。写真は、伝右衛門邸の庭ですが、広くて綺麗ですよね。。
★しかし、たたき上げの川筋気質で、女性遍歴が過ぎる伝右衛門と、文学好きの、伯爵令嬢たる暁子とは、そりが合うはずもなく、、やがて、暁子は、白蓮と名乗って、歌に精を出すようになります。福岡市天神と、別府市青山にあった、伝右衛門の別邸、通称あかがね御殿で、白蓮はサロン活動を行い、筑紫の女王、と呼ばれたのでした。
★やがて白蓮は、結婚後10年にして、別の男性と恋に落ち失踪、そして、有名な”公開絶縁状”が、新聞に掲載されたのでした。二人は遂に別離、伝右衛門は生涯再婚せず、88歳で天寿を全うします。白蓮は、華族籍を剥奪され、幽閉されます。その後、その男性と結婚し、二人の子供に恵まれますが、長男は戦死してしまいます。その悲しみを乗り越え、彼女は天寿を全うしたのでした。
★伝右衛門と白蓮、二人が激動の10年間を過ごしたのが、この旧伊藤伝右衛門邸なのです。
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