2012年11月03日

吉野ヶ里遺跡


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弥生人の里、吉野ヶ里遺跡です。福岡から背振山系を経て佐賀に至る国道385号線沿いにあります。なお、道の駅 吉野ヶ里千坊館は、ここから福岡方面へ15分ほどのところにあります。

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吉野ヶ里遺跡です。入り口ゾーン、環境集落ゾーン、古代の原ゾーン、古代の森ゾーンがあり、広大な公園です。古代の森ゾーンは、現在未公開です。

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入口ゾーンです。環境ゾーンの入口のゲートまで、結構な距離があります。

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入口ゾーンです。階段を上っていくと、大きな屋根のゲートがあります。

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大きな屋根のゲートに着きました。ここで入口ゾーンは終わり。橋を渡ると、環境ゾーンになります。

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広くて結構長い橋を渡ると、環境ゾーンが見えてきます。

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橋を渡る途中、ふと横に目を移すと、復元された弥生時代の集落跡が見えています。物見やぐらでしょうか?

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アップにしてみました。これは、北内郭にある主祭殿などです。

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環境集落ゾーンの案内です。

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弥生時代とは、今から1,700年〜2,300年前、およそ600年間続いた時代です。吉野ヶ里遺跡は、この600年間の流れを辿っていける全国唯一の遺跡です。現在復元しているのは、今から1,800年前頃の吉野ヶ里の姿だそうです。

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溝があり、杭が打たれています。

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なんか、先が尖っていますね。。

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これは逆茂木といいます。コメ作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになりました。人々は自分たちの集落を守るため、集落の入口など特に重要な区域には、とがった木の枝や幹でバリケードを築き、より厳重に守っていたのです。

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南内郭エリアが見えてきました。

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復元された南内郭の櫓門(やぐらもん)です。上で兵士が出入りする人を見張っていました。

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南内郭の内側のエリアです。

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庶民の家や仕事場です。

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たとえば大人の妻の家。軍事や土木工事をとりしきる大人の妻の家。中では母親が櫛で娘の髪を梳いています。

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結構高そうな建造物ですが。。。

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なるほど、物見やぐらなんですね。

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庶民の家です。

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内部はこんな感じです。土臭い臭いがして、やはり湿気が感じられました。

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別の角度から。。

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こちらは、先ほどの庶民の家と違い、高床式になっています。湿気は防げるでしょう。

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仕事で使う道具などを納める蔵のようです。

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正面から見ると、大変立派な蔵ですね。。

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当時、階段までついていたかどうかはわかりませんが。。
(作成中)


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posted by EASCORP at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 遺跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする



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