より大きな地図で 大村公園、玖島城跡 を表示
旧大村藩、大村氏の居城跡、大村公園と玖島城跡です。
大村氏は、平安時代に藤原直澄が四国から移り住み大村氏を名乗ってから、中世の戦国時代、江戸時代から幕末、明治維新にいたるまで絶えることなく大村地方を治めてきた、非常に稀有な大名です。大村氏の居城、玖島城跡のある大村公園を訪ねてみました。
このぶらり旅の編集を始めてから、様々な100選、があることを知りました。大村公園は、日本のさくら名所100選、の地です。2,000本もの桜が植えられています。お花見が好きな方は、外せませんね。
桜田の堀、は、満々と水をたたえ、大きな池のようです。堀を囲む遊歩道には、このように展望所がもうけられています。
桜田の堀を横切る遊歩道もあるようですね。渡ってみましょうか?
堀の中央部からの眺めです。鳩がとまっていて、クルックーと鳴いていました。のどかです。
桜田橋です。ここを渡ると、桜田の堀の対岸に出ます。
近代公園の先駆者、長岡安平の碑がありました。長岡安平は、明治から大正時代にかけて、東京の芝公園はじめ全国各地の公園や庭園の設計、街路樹苗木の育成、史跡名勝天然記念物の保存に尽力した人です。
玖島崎樹叢の案内板。玖島崎樹叢とは、玖島城の本丸を取り囲むように茂る自然林のことです。玖島城の林は、江戸時代すでに大きな樹木があったようで、大村を来訪した文人の日記にも、お城の建物が見えない、というエピソードが出てきます。廃城となったあと、人の手が入らず、林の状態が自然の状態に戻っていき、現在のような大木を含む樹叢となったそうです。天空の城ラピュタの様な話ですね。。。昭和49年、長崎県の天然記念物に指定されています。
これは、幕末江戸の神道無念流、斉藤歓之助の碑です。
斉藤歓之助は、幕末江戸の三刺客、斉藤弥九郎の三男として、1832年江戸に生まれます。斉藤弥九郎の道場は練兵館といって、江戸でも有名な道場でした。長州の桂小五郎や、大村藩の渡辺昇らも学んでいます。1854年、歓之助は大村藩剣術師範役となります。得意の突きは、天下無敵と言われたそうです。この碑は、門弟らが、師の功績を顕彰して建立したものです。
まるで時代劇に出てきそうな登城の為の階段です。江戸時代、多くの武士がここを通ったことでしょう。
途中にあったお食事処。大村ずしの看板がでていました。大村ずじは、郷土料理で、炊きたての米飯を広げて魚の切り身や野菜のみじん切りなどを乗せ、さらにそれを挟むように飯や具を乗せた押し寿司です。
更に城の階段は続きます。
鳥居が見えてきました。
階段の上には、広々としたスペースが。。。
オオムラザクラについての説明文です。
歴史を感じさせる大村神社。
その昔、玖島城の本丸があったところです。
貝吹石です。
第十二代藩主、大村純煕公です。
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ラベル:大村市